湧水調査 番外編

中和田天満宮由緒(多摩市和田1215-11)
 

中和田天満宮

太古よりの段丘の中腹に伏流水が湧き出で「おみたらし」状を呈していた処に旧北野村より移り住んだ人が故郷の天満宮を村人と計り勧請したと和田村旧記は伝えている。神と水は不可分であるが、この条件を満す社は近郷で当社のみである。一段と高い所にある社殿は寛永三年(1626)の創建である。新編武蔵風土記稿に寛永九年とあるが誤読で赤外線写真での確認である。
 旧和田村は江戸時代末期まで戸数は拾五軒ほどの村であったが明治初年頃より人口も増加し現在の活況を呈する様になった。平成の初めの頃か古棟札は失われてしまったが各所に大木の切り株や都道改修の際まで旧参道に梅の老大木が緑のトンネルの如く茂り古社の雰囲気であったが、その姿も今は失われ、古来の産土神とし、また学問の神天地の神五穀豊穣、身体安全の守り神として広く崇敬を集め、今は鳥居を結界として石段より上方が神域となった。平成十八年(2006)御鎮座三百八十年を記念して社殿の再建と覆屋の改修も完了し、何時までも平和で安穏な日の続くことを希い、当社の由緒を識しおくものである。

石灯籠

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