安全保障をどう考えたら良いか!~平和を希求するために~
8月30日土曜日の午後、パルテノン多摩の会議室で生活者ネットワークの都議山内れい子さん(北多摩二区)を招き、都政フォーラムを開催した。ここ2年「多摩市平和展」で多摩・稲城にまたがる米軍基地・多摩リクレーション施設の歴史とその問題を読み解き大変好評を博している多摩市豊ヶ丘にお住まいの神子島健(かごしまたけし)さんを講師に「多摩地域の軍事施設から考える戦争」と題するお話を聞いた。
山内さんはセクハラヤジなどの都政報告、多摩リクレーション施設の返還要求に係わる生活者ネットワークの質問と首都圏の空域の推移の説明があり、神子島さんのパワーポイントを使っての講義に入った。
昭和初期の皇居の周りは天皇を守るため陸軍部隊が駐屯しており、そのまわりには兵器工場や陸・海軍学校が配置され、侵略への準備が着々と進められていた。現在の東京ドームや後楽園には大規模な陸軍の兵器工場もあった。その後、軍備のための飛行場や研究所など多摩地域につくられ敗戦が近づくころには多摩飛行場(後の横田飛行場)、立川飛行場、調布飛行場、所沢飛行場などが設置され、武蔵野市の中島飛行機武蔵製作所ではゼロ戦が製造されていた。戦争への道は日本国土でも首都圏中心に大きく広がっていた。
戦後日本はアメリカの世界侵略の中にしっかり組み込まれ、座間や横須賀には実戦部隊がないが拠点としての司令部が存在し、横田基地は輸送中心とは言えパラシュート部隊の訓練が展開されている。アメリカの世論は内向きの流れにあり日本の自衛隊へのアメリカ軍に替わる役割への期待が強い。
基地返還に関しては反対運動のさかんな所はアメリカはリスクと捉え返還の可能性が高くなる。今後地域で米軍基地での動きをしっかり見張っていきながら声を上げていくことが大事になる。人が生きるために何が大切かその議論を重ねながら平和への価値観を積み上げていく努力を惜しんではいけない。
平和を願う市民一人一人ができることから始めるしかない!